「しーき」
「うわっ!?アルクェイド!?」
不意に背中にかかる衝撃に志貴は体勢を崩す。
「いきなり抱きついてくるな、しかもこんなところで」
「えー、どうして?」
「ここが学校の校門で、俺と毎日顔を合わせる奴だっていっぱいいるんだから、恥ずかしいだろ」
「そうかな?恥ずかしいことなんて何もないと思うけど」
「俺は恥ずかしいんだよ」
「だって、想えるって、楽しいよ」
志貴の目の前には、すがすがしい満面の笑み
「志貴に会って、それからいろいろなことがあった…何百年も生きてきたのに…それまで知らなかったこと…知る必要が無いと思ってきた物」
アルクェイドは志貴の手を取り、顔を覗き込む。
「でも、知ったら…いろいろなものが楽しく見えたの」
無邪気な笑み
それを見て、こいつは本当に子供みたいなやつだなと、志貴は思った。
でも、それを悪いことだとは微塵も思わなかった。
「私、みんなが好きだよ。志貴はもちろん好きだけど、琥珀だって、翡翠だって、妹だって…志貴と会う前は邪魔としか思ってなかったシエルだって、
いなくなったら寂しいかも」
「アルクェイド……」
何の照れもなく素直にそんなことを言えるアルクが志貴には眩しく映った。
「好きって、感じるだけで嬉しくなるの、想えるだけで幸せだって思うの」
それは何百年も『何も感じなかった』彼女だからこそ重い言葉
「ねぇ、志貴…私のこと好き?」
好きか嫌いかで聞かれれば、そんなの答えは決まっていて
「ああ、好きだよ」
さっき自分で言った言葉なんて関係ないかのように、志貴は恥ずかしげもなく、答えていた。
「えへへ……」
アルクは嬉しそうに笑う。
「でも、一番じゃないよね?」
「!?アルクェイド」
「志貴に『好き』って言ってもらえるだけで、私は嬉しいからいいんだけどね」
そう言ってアルクは志貴の腕をとる。
「『学校』っていうの、もう終わったんでしょ?遊びに行こ、志貴…学校が終わったあとはまっすぐ家に帰らず遊び歩くもんだって
志貴の友達の赤い頭の人が言ってたよ」
志貴は腕をとられ、半ば引きずられるように、歩いていく。
あいつは、またアルクェイドに何を吹き込んでんだと、悪友に心中で毒つきながら
全く別の、日頃世話になりっぱなしの少女のことなんて考えたりしていた。
感じる想い
「志貴様、お帰りなさいませ」
もう空が茜色から紫へと色を変えようとしている時間、アルクと別れて志貴は屋敷へと帰ってきた。
門の前にはいつもと変わらず、志貴を待つ翡翠の姿
翡翠は、自然に志貴から鞄を受け取り、志貴を屋敷に導く。
いつもと変わらぬ一連の動き
しかし、志貴は今日それを見て、ふと思う。
いつの間に、これが当たり前になったのだろうと
自分は、遠野の上流階級の生活など無縁のところで生きてきた。
事実、今をもっても彼の財布には夏目漱石すらいない状態である。
それでも、メイドにあれこれ世話をしてもらい、それを甘受するなんていうのが、普通であるはずはなくて
でも、そんな状況が当たり前になってしまっているのだ。
翡翠がこの仕事に拘りを持っているのは確かなことだが、自分が主人と従者などという関係を最初から望んでいなかったことも確かではなかったか?
志貴はそんなことを思う。
だが、思うだけで変わることなどそうは無い。
自分以外の人間が関わることならなおさらである。
そんな志貴のいろいろなゴタゴタが終わった一応穏やかな日々の中でふと思ったような思惑とは裏腹に、いつもどおりに時は過ぎていくのである。
夕食の時間になれば、翡翠が志貴を呼びに行き
夕食の間は何も食べないどころか、椅子に座ることもなく後ろに控えている。
それは、確かに翡翠が望んだ志貴との関係で
でも、明確に嫌だと言えるほど強い感情ではないかもしれないけど…それは、志貴が望んだ関係ではなくて
だけど、今のままでそれを言ったなら、主従の間の命令のように彼女が受け取ってしまいそうで、少し不安も感じた。
そんなことを、悶々と、グルグルと、志貴は考える。
でも、やっぱり伝えようと思わなければ、そして伝えなければ、何も伝わらない。
そう思う。
でも、やっぱり今のままその想いを伝える言葉は見つからなくて
それでも思っていることはあって
素直に想いを口にして笑っていた奴を思い出す。
夕食後、後片付けを行う翡翠に志貴は声をかけた。
「翡翠」
「なんでしょうか?志貴様」
「いつも、ありがとう」
「え?」
翡翠は、驚いた表情をみせる。
志貴は、そんな翡翠の表情に、そんなに驚くようなことを言ったかなと思う。
「急に、こんな事を言うように聞こえるかもしれないけど…いつも思ってる、ほんとにありがとう翡翠」
「そ、そんな…私は志貴様の世話役です。当然のことをしているだけですので……」
そう言う翡翠は、恐縮したように身を縮こませていて
照れたように、顔は真っ赤で
「でも、俺はそれを当然のことと受け止めていい人間じゃない」
「そんなことは……」
翡翠は、困惑を面に浮かべて反論する。
志貴はそれを遮るように言葉を発した。
「だって、ここにくるまで多分俺は普通の一般的な家庭に暮らしてた…普通に慣れないというのもあるし、秋葉みたいにグループを纏めるために働いてるわけでもない」
「どうして、そんなことを仰るのですか!?そんなこと関係なく、志貴様は私の……!」
翡翠にしては珍しい強い言葉
「でも、だからこそ感謝の気持ちが溢れてくるんだ。君がどう思っていようが、俺はこの気持ちを抑えられない」
その言葉をもう一度遮って、志貴は続ける。
「もう一度言うよ。いつも、ありがとう、翡翠…こんな何もとりえのない俺に尽くしてくれて」
話す言葉の内容と口調に、志貴は我が事ながら気恥ずかしさを感じる。
でも、恥ずかしくても、キャラじゃないと自分で思うような言葉でも、それは紛れもない本心の言葉だった。
「志貴様……」
翡翠は頬を染めて、志貴の言葉に驚き言葉を失っている。
その表情の愛らしさ、愛しさに、志貴は抱きしめたいと思って
それを素直に実行していた。
背中に手を回す。
少し硬い、エプロンドレスの布地の感触が手の平に返ってくる。
サラリとした髪の感触を頬で感じる。
彼女の香りが鼻腔を擽る。
自分のすぐ近くにある存在を、その温もりを身体全体で感じる―――。
志貴は、顔を見たくなって、少し身体を離す。
瞳は先ほど以上の驚きに彩られていて、驚きと羞恥からか首まで真っ赤に染まっている。
そのせいか肌は、少し汗ばんでいた。
だけれど、それがよりいっそう翡翠を生生しく彩っていた。
志貴は思う。
翡翠は、綺麗なほどに真っ赤だが自分だってきっとそうだ。
ふと冷静になってみるたび感じるが、さっきからの自分の言動は恥ずかしすぎる。
でも、その『恥ずかしい事』をさっきから自分はやってしまっている。
だって、それ以上に目の前の翡翠を見て、思うのだ。
こんなのはたまらない。
心が訴えるのだ。
翡翠の魅力を、それに惹き付けられている自分を
だから、いくら羞恥がこの身を焦がしても
常識が心を縛っても
その、一番に感じる訴えにしたがって、翡翠の背にもう一度手を回す。
「志貴様……」
どこか呆けたような、翡翠の声
「今…俺は、幸せなんだと思う」
きっと、翡翠は今、急にこんな事をされて困っているんだろうと、痺れてまともに働かない頭の片隅で思う。
「秋葉がいて、琥珀さんがいて、アルクエィドや先輩やレンと知り合って…それで大きな事件も無くて…でも、退屈しない程度にいろんなことがあって」
「…皆が、俺は好きだ。でも、一番好きだと思うのは、きっと……君だよ、翡翠」
いつも通りの日常
この日も、そんなただの一日になるはずだった。
でも、今の翡翠の状況はただの一日に起こるはずはなくて
グルグルグルグル思考が回る。
翡翠は、その思考を処理できず、ただ呆然とする。
取り留めのない言葉が、順不同に浮かぶ。
どうして?
―――嬉しい
どうして、私などを好きだなんて
―――嬉しい
「理由はいろいろある気がする。翡翠は魅力的だし、昔も、ここに帰って来てからも俺を引っ張ったり、支えたりしてくれたのは、翡翠だから」
―――嬉しい
貴方に、好いてもらう資格なんて
―――嬉しい
私は、貴方にそんなことを言われるような事は
―――嬉しい、嬉しい、嬉しい
だって、貴方を護れなかった私なのに
―――嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい
翡翠の気持ちも溢れる。
翡翠も志貴の背に手を回して
その溢れた想いはそのまま自然に言葉となった。
「私も、好きです。志貴様」
二人はただ、自らの想いのままに互いを抱きしめる。
今、この瞬間二人を突き動かす想いが、二人の関係をどのように変えるのか、それは誰にも、抱きしめあっている二人にすら分からない。
間違いなく言えることは、互いを好きだといったその言葉が、今、二人の心を最も占めていて
強く思っている、確かな想いだということだった。
二人は、その想いの昂ぶりが静まるまで、しっかりと抱きしめあっていた。
さて、夕食後に行われたこのやりとり
二人はすっかり失念しているが、こんなことをやっている場所は本来、屋敷内でも人目につきやすい場所である。
したがって、この二人のやり取りを厨房の物陰から家政婦さんが覗いているのは必然であった。
「うふふ〜、お姉ちゃんとしては、嬉しいんですが少し残念なような〜、複雑な気分です」
そう言ってはいるものの、その表情は面白そうな笑顔
「でも、うまくいったらうまくいったで先が大変でしょうね〜」
と言って琥珀は、少し視線を下へ向ける。
そこには、少し紅みがかった髪で気を失い身を横たえる秋葉の姿
琥珀は愉快気に注射器をのぞかせた和服の袖で口元を抑えながら言う。
「まぁ、私は傍観といきましょうか。すこ〜し、志貴さんたちをからかいながら、うふふ……」
……本当に、周りも相まって二人の関係がどうなるのか、それは誰にも分からない。
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