エゴだと言われても、僕は君に微笑むから


一時






目に映るのは、僕が住んでいるアパートの天井。

特に何をするでもなく、僕―――黒桐幹也は自宅で寝転がっていた。

「ふぅ……」

つきたくもないため息が漏れる。

余計気が滅入るが…まぁそれも仕方ないんじゃないかな…と思う。

とりあえず、考えるのは明日からの生活のこと。

今月の給料が出ないと分かった以上、来月までどうやって食い繋いでいくかを考えなければいけない。

全く、燈子さんの金銭感覚の破綻はどうにかならないものだろうか…とたびたび思うことを、また思う。

……こんなことを、思うのが日常化していることを自覚して、また、ため息が出そうになる。

その時、アパートの呼び鈴が来客を報せる。

「はい」

短く答えて、体を起こし玄関に向かう。

実のところ、ここに呼び鈴を押して尋ねてくる人なんて限られている。

だから来客の見当はついていた。

玄関を開ける。

そこには僕の予想通りの人間が立っていた。

「こんにちは、先輩」

ただ、予想外だったのは、彼女が何かが入った袋を抱えていたこと。

「…藤乃ちゃん…」

「はい?」

「それ何?」

僕のその言葉に、彼女―――浅上藤乃は、一瞬不思議そうな表情をすると、すぐに何か思い当たったような表情になり、言う。

「これは、材料ですよ」

綺麗な長い髪を揺らして、嬉しそうに微笑みながら、当然のように藤乃ちゃんは言う。

「材料?」

「はい、勝手かとも思ったんですが…先輩、お給料でなくて困ってるだろうなと思って……」

僕はその言葉に少し驚く。

でも大体の予想はついていた。

「燈子さんに聞いたの?」

「はい?」

「その…僕の給料のこと」

藤乃ちゃんは、困ったように笑う。

「はい、燈子さんったら…なんでもないことみたいに私に話すんです……」

そう言って『悪い人じゃないんですけど』と藤乃ちゃんは呟く。

うん、それは僕も知っている。

燈子さんはいろいろ普通じゃない人だけど、まぁ…悪い人ではない。

むしろ僕たちのようなごく身近な『身内』に関してはいろいろ気にかけていてくれる。

……だけど、あの浪費癖……金銭感覚の無さはどうにかならないものかと思って困ってしまう。

その上、あの人は身近な人間をからかって面白がるというちょっとした悪癖がある。

僕には、その瞬間、藤乃ちゃんの気持ちが我が事のように分かった。

「だから…その…その話を聞いて…私も先輩のために何かできないかなと、思って……」

恥ずかしそうにうつむいて、藤乃ちゃんは呟く。

「気持ちは嬉しいけど、いいの?」

そのために訪ねて来てくれたはずなのに、思わずそんなことを聞き返してしまう。

「はい、もちろんです」

藤乃ちゃんは、嬉しそうにそう言って、言葉を続ける。

「でも、一つお願いしていいですか……」

「ん、何?僕にできることだったら、もちろん手を貸すよ」

「今、私…感覚があるんです…いつもみたいに、触ってもいいですか?」

頬を染めて、そんなことを聞いてくる。

普通に聞いたら、よく分からないかもしれないお願い。

でも、彼女にとっては意味のあることなんだと僕は知っている。

「もちろん、かまわないよ…でも、大丈夫?」

「はい、力が暴発しそうな感じはないですし、大丈夫です…辛かったらきちんと言います」

藤乃ちゃんは微笑みながら言う、その表情に辛そうな影は見えない。

「お台所、お借りしますね」

彼女は、微笑んだまま、僕の横を通り過ぎ、嬉しそうに歩いていく。

僕は、その背を見つめながら…彼女―――浅上藤乃のことを思う。

彼女と知り合ったのは、ある事件がきっかけだった。

ある夏の初めに起こった連続猟奇殺人。

本来、人の手で起こるはずの無い怪事件。

起こしたのは彼女だった。

それは、彼女の背負うべきことだけど、それが起こってしまったのは、彼女だけのせいとは僕は思っていない…正直、思うことはできない。

それでも、それは彼女の『罪』で、彼女はそれを知っている。

彼女は何故『罪』を犯してしまったのか?

それは、彼女じゃない僕には分からない。

僕が、知っていることなんて、ほんの些細なことだから。

それは、彼女が後天的な無痛症である事とか。

彼女は『物を曲げる』という、普通では持ち得ない力を持っていることとか。

その力は、痛覚と共に封じられていたこととか。

あの事件の時、痛覚は一時的に正常に働いていて…それゆえに彼女は『普通』ではいられなかったこととか。

そんなことしか、僕は知らない。

それともう一つ、知っていることは…彼女がここにいる理由。

あの事件が終わったとき、黒桐幹也と浅上藤乃の関わりは消えるはずだった。

でも、彼女は今ここにいる。

その理由…それは、彼女が『普通』になりかけているから。

あの事件以来、全く何も感じなかった彼女の痛覚は、あの事件の時と同じように、時折、発作のように元に戻るようになった。

それは、本来喜ぶべきことのはず、しかし、その変化は歓迎されなかった。

『浅上藤乃』の痛覚の正常化は、人ならざるものの力の発現を意味していたから。

事件の解決と共に、彼女の精神は沈静化へと向かっていた。

だから、力が戻っても、その力の発現を理性で何とか押さえ込めるらしい。

しかし、それでもその力を恐れるものはいた。

それが彼女の身内であるはずの父親だというのだから、皮肉な話だ。

元々、彼女の痛覚を薬物で無理やり押さえ込んだのは彼女の父親なのだから、おかしな話というわけではないのだが…それでも、やりきれない。

浅上藤乃の今の状態を知った父親は、再び彼女の力を無理やりに押さえ込もうとしたらしい。

しかし、そのきわめて狭い身内の中で行われたはずのやり取りを、どういう伝手を使ったのか知った燈子さんは、彼女の父親を止めたらしい。

詳しいことは知らないが、未だ不安定な力の制御に怯える父親に、藤乃ちゃんに力の制御を教えることで、問題を解決してみせると提案したらしい。

いろいろ不明瞭な点はあるが、僕にはどちらにしろ燈子さんは計り知れない。

あんな事件に関わって、気になっていた女の子のためになるというのなら、僕のような普通の人間が感じる理不尽なんてどうでもいいと思う。

僕の視線の先にいる彼女は、燈子さんの住処兼工房であり、僕の仕事場でもある廃墟と評しても差し支えのない事務所に通っている。

力の制御というのをより確実にするために

気にすることなんて、その事実だけで十分だと思う。

まぁ、それはそれとして、燈子さんがそこまで手を回したことは正直、意外に感じたが

あの人いわく

『彼女のような、超常的な能力が気に食わないのは事実だが…それでも、興味というものをそそられるのも事実なんだよ黒桐』

だそうだ。

「先輩、お待たせしました」

そんなことを考えていると、声がした。

視界には、いつの間にか体をこちらに向けて微笑んでいる藤乃ちゃんの姿。

……どうやら僕は、前を見ているつもりで、前が見えていなかったらしい。

いつの間にか、思考に沈んでいた自分に苦笑する。

「先輩、どうかしましたか?」

器を持って、僕の傍らまで来ていた藤乃ちゃんがそんな声をかけてきた。

「いや、なんでもないよ」

そんなことを言って、ごまかす。

声をかけられた相手のことを考えていた…なんて素直に言うのは、なんとなく気恥ずかしかった。

そんな会話の間に、テーブルの上に器が置かれる。

器の中には、美味しそうに湯気をたてているチャーハンが盛られていた。

「お口に合うといいんですけど……」

そんなことを言って、恥ずかしげに顔を伏せる藤乃ちゃん。

でも、そんな彼女の言葉とは裏腹に見た目と香りで感じる限り、目の前のそれには何の問題もなかった。

それに、そんなことを言ったら僕なんか麺類しか作れないのだ。

藤乃ちゃんには感謝こそすれ、あんなふうに恐縮することなんて何一つないと思う。

そんなことを考えながら、彼女の作ってくれた料理を一口含む。

暖かい味が口いっぱいに広がって、思わず笑みがこぼれたのが自分でも分った。

噛み締めるようにしっかりと粗食して飲み込む。

「美味しいよ」

自然と、そんな言葉が漏れる。

「本当ですか?」

驚きと嬉しさが混じったような問いかけが聞こえて

「うん」

考える前に言葉が出ているのかなと自分でも思うほどに、迷い無く僕は答えていた。

自分の料理を評価されたことが嬉しかったのか。

言ったこちらが、戸惑ってしまうほど綺麗に、目の前の彼女は微笑んだ。

それは戸惑いの後、僕も何故か嬉しい気持ちになってしまうほど、綺麗な微笑だった。







「ごちそうさま」

食事を終えて、そんな言葉を口にする。

一人だとこんなこと絶対に言わないな…なんて、ふと思う。

「?どうかしたんですか、先輩」

「いや、なんでもないよ…少し可笑しくて…嬉しかっただけだから」

「?はぁ……」

藤乃ちゃんが怪訝な表情をする。

まぁ、それはそうだ…僕自身から見ても、いきなりこんなことを言われても訳が分からないだろう。

「それよりも藤乃ちゃん、いまさらだけど、まだ感覚ある?」

藤乃ちゃんのしぐさがあまりにも自然だったから、先に食事をしてしまったが、彼女の願いはいつ叶えられなくなってもおかしくないのだ。

「はい」

少し恥ずかしそうに答える彼女。

その手がゆっくりと伸びて、僕の頬に触れる。

彼女…浅上藤乃の『感覚』はいまだ不安定だ。

異能のコントロールを学んではいるもののそれもいまだ完璧ではない。

そして、彼女はそんな時、なぜか僕に触れたがる。

理由は分からない。

でも、それで彼女が落ち着くなら

喜ぶなら
それでいいかな、って思う。

そんなことを考えていたら、頬に触れていた手にわずかに力がこもって、もう片方の手で顔を挟みこまれた。

「……え?」

そんな呟きと同時に視界が反転する。

急に視点が変わって、処理が追いつかない。

ただ分かるのは、目の前で『見下ろしている』藤乃ちゃんの顔と、後頭部に感じる柔らかな感触。

そして心地よい、しかし、意味不明な温かさ。

訳が分からない一瞬を過ぎて、理解が追いついてくる。

「……ぁ」

息の漏れたついでに紡がれたような、そんな小さな意味のない音が僕の唇から漏れた。

その時には理解していた。

僕……黒桐幹也が横になって浅上藤乃の膝の上に乗っているということを

俗に言う『膝枕』の体勢である。

その『状態』を思考は冷静に分析しているかのごとく働く。

でも、今の僕は冷静でもなんでもない。

だって、それが分かっても…僕は彼女にかける言葉の一つも浮かばなかったんだから……。

ただ、五感は働いている。

触覚が彼女の体温を感じている。

「先輩、暖かいです……」

聴覚が彼女の声を拾う。

その声の、嬉しそうな響きまで身体に、そして心に響く。

視覚が捉える表情は、困っているような、照れているような、そんな表情で

でも、笑っていて少なくともその時の僕にはとても魅力的に見えた。

手を伸ばす。

藤乃ちゃんの頬に触れる。

彼女の体温が伝わってきた。

それは僕が産まれた時から感じられる当然のこと

でも、彼女にはずっと感じられなかったこと

この当たり前の感覚を今、彼女はどのように感じているのだろうか?

そんなことを思う。

「藤乃ちゃん」

「はい」

「藤乃ちゃんの頬、温かいよ」

「はい」

「君にも、分かるかな?僕の手の感触」

「はい」

そう言って、藤乃ちゃんの笑顔がさらに深くなる。

その姿は、とても綺麗だと思う。

その表情に不幸の影は見えなくて

他人は、そのことを間違ったことだと言うだろうか?

そう言う人もいるだろう、きっと

それが当たり前かもしれない。

当然かもしれない。

でも、『僕』は今の彼女でいいと思う。

たとえ誰が否定してもはっきりとそう思うから

「藤乃ちゃん」

だから、彼女にはもっと笑顔になってほしいと願う。

頬に触れていた手で藤乃ちゃんの髪を梳く。

もっと感じて、そして笑ってと

そんな願いを込めるつもりで

「あ…くすぐったいです……」

言葉通りにくすぐったそうにしながら、だけどその顔は笑顔のままだったから

僕の手は止まらずに、滑るような黒髪に触れ続けた。

そんな時間がずっと続く。

何も起こらない、ただ穏やかな時間

そんなときの中で、藤乃ちゃんも同じ気持ちならいいな、なんて、そんなことを思う。

「先輩、目がトロンとしてます」

不意に、そんな言葉が聞こえてきた。

「そうかな?」

目の前の顔は、愉快そうに笑っていた。

「そうですよ」

まぁ、こんなに心地よかったら、眠くなるのも仕方ないかもしれない。

「このまま寝ちゃったら、藤乃ちゃんに悪いかな」

「え?どうしてです」

不思議そうな声が聞こえる。
「だって、動けなくなるし…足だって痺れちゃうかも……」

そんな言葉とは裏腹にもう、目の前の光景も霞んでいた。

「そんなこと、気にしなくていいですよ」

…もう、声しか聞こえない。

ただ、その声の明るさは分かった。

「それよりも私、先輩の寝顔…みたいです」

穏やかだけど、願うような声

寝顔を見られるのは、少し恥ずかしい気もしたけれど

「藤乃ちゃん」

それを目の前の彼女が、望んでいるのならそれもいい気がして

もう一度、体温を確かめるように、彼女の頬に触れて

「おやすみ……」

感じた体温に包まれながら、僕は、心地よいまどろみを感じた。

それに身を任せ、あまりに穏やかな『今』に身を任せる。

『今』僕が感じているこの『一時』が僕を包んでいる彼女にとっても、同じものであることを祈りながら……。







あとがき



知らない人も多いかも知れないが『TYPE-MOON』を知っていれば、知ってる人も多いであろう『空の境界』SSです。

幹也x藤乃が書きたくて、書きはじめ、止まっていた作品をサルベージして完成させました。

この後、藤乃視点も書く予定です。

…予定は未定ですが(ぉ

ちなみに私は、しっかり幹也x式も好きですので、ご理解のほどを


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